気の向くまま不定期日記

「釜山でお昼を」の頁の製作やイベント・周辺のできごと
菱海村(現在は長門市の一部)を訪ねた
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    山口県大津郡菱海村の地図です。

    菱海村は 久富村、新別名村、河原村、伊上村が合併するとき、4つのむらの頭文字を取って
    出来たようです。
    東から西に並んでいる順に、久富の「ひ」、新別名の「し」、河原の「か」、伊上の「い」


    写真は長門市・札場集会所です。この建物の場所に大津郡菱海村の村役場がありました。

    1954年5月 大津郡の菱海村、宇津賀村、向津具村の3村が合併して 大津郡油谷町になり、
    油谷町役場が別の場所に新設されました。
    2005年3月 大津郡油谷町は長門市に吸収合併され、消えました。

    旧菱海村役場前の交差点から撮ったメインストリートです。方向は東
    右の大きな家は旅館で当事は朝鮮の蔚山と菱海を結ぶ航路作成関係者が多数宿泊し賑わって
    いたようです。

    同じく交差点から西方向。
    左が蔚山の埋築工事、釜山の埋築工事をした池田佐忠が住んでいた家です。
    蔚山と菱海を結ぶと日韓の最短距離である事に着目し両都市を結ぶ大工業団地を作る
    予定でした。

    同じく交差点から南方向。廃屋が哀しげです。
    蔚山の埋築工事が終わり、工業用水路も完成し、菱海村の埋築工事を始める直前に敗戦
    蔚山は池田が作った土地で工業都市として100万都市に発展しました。
    30万都市になる予定だった菱海村の工業団地構想は敗戦のためすべて消えました。

    芭蕉の一句が浮んできます「夏草やつわものどもが夢の跡」
    | けい | 福岡県外 | 12:30 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
    引揚港だった仙崎を訪ねた
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      昨日の日曜日は山口県長門市の仙崎を訪ねました。

      仙崎は敗戦で海外から引揚げる日本人の受け入れと、帰国する朝鮮人を送り出す港として
      使用されたので、戦前の海外植民地研究に欠かせない場所です。

      港に記念碑と説明文があります。
      右は下関市立大学の木村健二先生、左は霊山大学の崔永鎬先生

      奥の方には在日朝鮮人を送り返した記念の銅像と石碑があります。

      仙崎駅です。仙崎線は山陰線から分岐した1駅の短い路線です。
      駅の中はミニ博物館となり、仙崎で生まれた詩人「金子みすず」と引揚港としての仙崎を
      紹介しています。

      展示されているアルバムの中に面白い写真がありました。

      仙崎には米軍では無くニュージーランド兵が駐留して引揚/帰国をチェックしていました。
      福岡県立図書館蔵書の援護局「局史」に引揚者の横に半ズボンをつけた兵の写真があったのを
      疑問に感じたのを思い出しました。知らない外地の写真だと思っていましたが仙崎の写真だと
      特定できたので嬉しくなりました。
      | けい | 福岡県外 | 13:39 | comments(3) | trackbacks(0) | - | - |
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