気の向くまま不定期日記

「釜山でお昼を」の頁の製作やイベント・周辺のできごと
釜山の住所特定作業
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    昭和2年7月11日に釜山の町名改定が行われました。
    町名変更や合併だけかと思っていましたが 大幅な住所改定作業になったことが
    分かり、私の書いた頁の大幅修正が必用になりました。

    現在 頁のアップを停止して地番特定作業に集中しています。

    本町を例にとると右下から1,2,3・・・と番地が振って左上に上がっていたのが
    左下からから1,2,3・・と振りなおしているので真中は同じ番地ですが 両端は
    完全に異なります。

    町名合併もあるので、新規で番地を始める事にしたのかも知れません。
    おかげで私はてんてこ舞い;;;

    嘘を書いたつもりではありませんが 昭和2年以前に廃業、移転した店舗や住宅の位置は
    間違いがかなりあります。お詫びしておきます。 m(_ _ )m
    | けい | 歴史 | 16:42 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
    1945/8/15の米国新聞
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      カナダにお住まいの「きのこ」さんから素敵なプレゼントが届きました。
      ありがとうございます m( _ _)m

      米国の新聞[SUN TELEGRAPH]社の終戦記念日復刻版です。
      ハワイに休暇で訪ねた時、アリゾナ記念館で購入されたようです。


      日本の終戦時は物資不足で新聞は1枚、米国は4枚16頁で芸能・スポーツ版まであるのは
      国力差だと痛感します。

      米国巡洋艦の写真は、原爆をサフランシスコからテニアン運んで、レイテ島に向かう途中に
      日本海軍潜水艦(イ58)に雷撃され沈没しました。(7/30)

      私のハワイ旅行の際、開戦記念の復刻版は買いましたが終戦記念日までは
      気が回らなくて、数社の新聞があるのだなぁと見逃していました;
      それを推察して新聞を購入した眼力にはかないません。

      袋の中にはビーフジャーキーやカナダ先住民のアクセサリー(悪夢を防ぐ)、ハンドクリームなど
      いろいろあり、目移りしながら楽しんでいます。

      | けい | 歴史 | 18:39 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
      日朝交流の軌跡
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        昨日は九州国立博物館1階ミュージアムホールで催された講演会を聞きに出かけました。

        江戸時代に朝鮮との外交を担当した對馬の宗家文書の8万点の整理が終わり8万点の目録が
        出来た記念展示です。タイトルは『対馬宗家文書からみた日朝交流』


        展示関連の講演会のプログラムは下記です。

        12:30 開場

        13:00〜13:30
        講師:阿比留徳生
        演題:「対馬宗家文書調査のあゆみ」
        13:30〜15:00
        講師:田代 和生(慶應義塾大学名誉教授)
        演題:「近世日朝交流と倭館」
        15:10〜15:25
        講師:山口 華代(長崎県立対馬歴史民俗資料館学芸員)
        演題:「新発見!日朝交流の証し「図書(としょ)」」
        15:25〜15:40
        講師:東 昇(京都府立大学准教授)
        演題:「宗家の系譜意識 - 平氏清盛流・安徳天皇 - −」 
        15:45〜16:30

        =パネルディスカッション=
        コーディネーター:中野等(九州大学大学院教授)
        李薫(韓国・東北アジア歴史財団第一研究室室長)
        東昇(京都府立大学准教授)・田代和生・山口華代

        興味深い内容なので4時間の長い時間、眠くなりませんw

        最後の東昇氏の講演で宗家が安徳天皇の子孫であると主張する過程を聞いて對馬に対する
        明治政府の心象が分かるような気がしました。

        廃藩置県で対馬以外の藩主は侯爵になっていますが、宗家だけは1段下の伯爵になったのを
        不満として安徳天皇の子孫であることを強く主張したようです。
        低いレベルの藩主でも侯爵なのに10万石の各付けの対馬宗家が伯爵とは明治の元老達の
        対馬に対する不満を感じます。

        対馬が「皇」「勅」という文字をつかった通告文を朝鮮に持っていったことに反発した朝鮮が
        日本と国交を結ぶのに10年の歳月がかかった事に対する明治政府の対馬の処分かもしれません。

        私は対馬が外交文書1枚で10年間の朝鮮交易権を維持できたので勝者だと考えていました。

        明治政府も分かっていって、宗家を伯爵、厳原藩を伊万里県から長崎県に編入などの処分をしたと
        考えると痛み分けで納得できます。

        帰りは講演会場で会った酒井さんから樋口一葉と対馬の半井桃水の関係を聞きながら太宰府天満宮の
        境内を散歩、有意義な一日でした。
        | けい | 歴史 | 09:22 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
        大政一新通告の意味
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          慶応四年 江戸幕府から明治政府に替わったことを朝鮮国に最初に送った挨拶と連絡が
          大政一新通告です。

          対馬の宗義達は外国事務輔に任命され、家臣の樋口鐵四郎を大差使として釜山に派遣して
          対日担当である東莱の訓導(安東俊=安僉知)に文書を持って行きました。

          この文書に「皇」「勅」の字が入っていて、印鑑も従来のものと異なるので受取拒否されました。
          対処で外務省は苦慮し、明治10年の雲揚号事件での開国交渉まで試行錯誤でした。

          何故 對馬はこのような刺激的な文書を作って朝鮮に持っていったのでしょう?
          對馬は朝鮮と長い期間交渉をしているので拒否される事は知っています。

          証拠にめぐり合っていませんが・・・・・
          對馬はこの文書で1石2鳥・3鳥を狙って、作ったのでは?と推測しています。

          1つ目は 「皇」「勅」の文字をワザと使うことで明治新政府に対して忠義を示し、不利益を避ける
          2つ目が 朝鮮と交渉する外交権の外務省移行が難航することで對馬の重要性が増すこと
          3つ目が 朝鮮との交易のライバルが出ないようにする経済的側面

          3つ目の 明治10年まで對馬しか朝鮮と交易ができなかったことは文書に現れてきませんが
          對馬にとって大成功だと思います。
          その後 開港しても釜山の居留地の住民は對馬の商人の比重が高くなります。
          | けい | 歴史 | 17:38 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
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