気の向くまま不定期日記

「釜山でお昼を」の頁の製作やイベント・周辺のできごと
ヒンディー語の辞典
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    釜山の寶水洞は古本屋がたくさん並んでいます。
    本の背表紙のタイトルを眺めながら面白い本を探すのは楽しみのひとつです。

    数年前に買ったヒンディ語辞典を紹介します。


    ヒンディはインドの公用語のひとつで多くの人たちが使っています。
    独特の文字キャラクラーが好きなので いろいろ書いたりして楽しんでいます。
    辞典の一部をアップで出してみます。

    ネパールもこのヒンディー文字を使っているので親しみがあります。
    タパイ ライ ツァンツァイ ツァ? ご機嫌 いかがですか? how are you?
    | けい | | 17:50 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
    釜山旅行から帰ってきました。
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      今回の釜山旅行は公休の「海の日」があったので2泊することができました。

      初日 7:30発のビートル1世で釜山に着き、養毛剤が必用な中央洞の友人にお土産を渡し
      光復路を数回 往復して写真を撮った後昼食
      食後は スターバックコーヒー店に寄りました。(パッピンスを注文)
      2階で霊山大学の金永鎬、釜慶大学の金潤美、東亜大学の徐貞恩の3氏とコーヒーを
      飲みながら釜山の近代史の雑談を楽しみました。
      朝:サンドイッチ(ビートル) 昼:鯖煮付定食 夕食:スントゥブ

      霊山大学の金永鎬さんが友人の金点朱さんの書いた本を持ってきてくれました。
      純宗の旅
      大韓帝国の2代目国王 純宗が日本訪問したことは韓国内であまり知られてないようで、
      「忘れられた旅行」というタイトルになっています。
      ハングルなので良く分かりませんがw 写真が多いので楽しむ事ができました。

      下記は釜慶大学の金潤美さんから頂いた論文です。

      興味深かったのは松根油の論文です。10年前松根油を何に使うか調べた事を思い出しました。

      石油代用品として軍が松の根の油を取って保存する事を全国的に行われました。
      松根油は石油の代用にはなりません。これは ジェットエンジンの国産化(ネ-20)が成功して
      戦闘機(橘花)の燃料として石油ではなく松根油が燃料として使えるからです。

      2003年1月 石川島播磨のジェットエンジン研究所に保管されている国産初のジェットエンジンを
      特別に見せていただきました。(一般公開はしていません)

      このジェットエンジン(ネ-20)を付けた戦闘機の試作に成功、プロペラの時代からジェットの時代に
      変化する過渡期です。
      エンジンに触れると当時の様子が分かるような気分になり、歴史を学んで良かったと思いました。

      翌日の日曜日は草邑洞の釜山図書館の古文書室でコピー
      朝:マンドゥクク(海苔巻天国)、昼:カレーライス(構内食堂) 夕:ナクチチャンポン(新昌洞)

      最後の月曜日の朝は富民洞にある中釜山登記所で閉鎖登記簿を申請、琴平町と常盤町の境界を探索
      午後は お土産の買物して「ニューかめりあ」に乗船。 今回も良い旅でした。
      朝:サンドイッチ(コンビニ) 昼:ビビンククス(富平市場)  夕:焼魚定食(中央洞) 夜:海苔巻
      | けい | - | 11:07 | comments(2) | trackbacks(0) | - | - |
      日朝交流の軌跡
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        昨日は九州国立博物館1階ミュージアムホールで催された講演会を聞きに出かけました。

        江戸時代に朝鮮との外交を担当した對馬の宗家文書の8万点の整理が終わり8万点の目録が
        出来た記念展示です。タイトルは『対馬宗家文書からみた日朝交流』


        展示関連の講演会のプログラムは下記です。

        12:30 開場

        13:00〜13:30
        講師:阿比留徳生
        演題:「対馬宗家文書調査のあゆみ」
        13:30〜15:00
        講師:田代 和生(慶應義塾大学名誉教授)
        演題:「近世日朝交流と倭館」
        15:10〜15:25
        講師:山口 華代(長崎県立対馬歴史民俗資料館学芸員)
        演題:「新発見!日朝交流の証し「図書(としょ)」」
        15:25〜15:40
        講師:東 昇(京都府立大学准教授)
        演題:「宗家の系譜意識 - 平氏清盛流・安徳天皇 - −」 
        15:45〜16:30

        =パネルディスカッション=
        コーディネーター:中野等(九州大学大学院教授)
        李薫(韓国・東北アジア歴史財団第一研究室室長)
        東昇(京都府立大学准教授)・田代和生・山口華代

        興味深い内容なので4時間の長い時間、眠くなりませんw

        最後の東昇氏の講演で宗家が安徳天皇の子孫であると主張する過程を聞いて對馬に対する
        明治政府の心象が分かるような気がしました。

        廃藩置県で対馬以外の藩主は侯爵になっていますが、宗家だけは1段下の伯爵になったのを
        不満として安徳天皇の子孫であることを強く主張したようです。
        低いレベルの藩主でも侯爵なのに10万石の各付けの対馬宗家が伯爵とは明治の元老達の
        対馬に対する不満を感じます。

        対馬が「皇」「勅」という文字をつかった通告文を朝鮮に持っていったことに反発した朝鮮が
        日本と国交を結ぶのに10年の歳月がかかった事に対する明治政府の対馬の処分かもしれません。

        私は対馬が外交文書1枚で10年間の朝鮮交易権を維持できたので勝者だと考えていました。

        明治政府も分かっていって、宗家を伯爵、厳原藩を伊万里県から長崎県に編入などの処分をしたと
        考えると痛み分けで納得できます。

        帰りは講演会場で会った酒井さんから樋口一葉と対馬の半井桃水の関係を聞きながら太宰府天満宮の
        境内を散歩、有意義な一日でした。
        | けい | 歴史 | 09:22 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
        大政一新通告の意味
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          慶応四年 江戸幕府から明治政府に替わったことを朝鮮国に最初に送った挨拶と連絡が
          大政一新通告です。

          対馬の宗義達は外国事務輔に任命され、家臣の樋口鐵四郎を大差使として釜山に派遣して
          対日担当である東莱の訓導(安東俊=安僉知)に文書を持って行きました。

          この文書に「皇」「勅」の字が入っていて、印鑑も従来のものと異なるので受取拒否されました。
          対処で外務省は苦慮し、明治10年の雲揚号事件での開国交渉まで試行錯誤でした。

          何故 對馬はこのような刺激的な文書を作って朝鮮に持っていったのでしょう?
          對馬は朝鮮と長い期間交渉をしているので拒否される事は知っています。

          証拠にめぐり合っていませんが・・・・・
          對馬はこの文書で1石2鳥・3鳥を狙って、作ったのでは?と推測しています。

          1つ目は 「皇」「勅」の文字をワザと使うことで明治新政府に対して忠義を示し、不利益を避ける
          2つ目が 朝鮮と交渉する外交権の外務省移行が難航することで對馬の重要性が増すこと
          3つ目が 朝鮮との交易のライバルが出ないようにする経済的側面

          3つ目の 明治10年まで對馬しか朝鮮と交易ができなかったことは文書に現れてきませんが
          對馬にとって大成功だと思います。
          その後 開港しても釜山の居留地の住民は對馬の商人の比重が高くなります。
          | けい | 歴史 | 17:38 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
          閉鎖登記簿を探す
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            釜山旅行から無事に帰ってきました。

            今回は釜山海洋大学訪問と富民洞にある登記所を訪ねるのが目的でした。
            海洋大学は挨拶がメインになり、登記所で日本時代の閉鎖登記簿を見ることで住所の特定作業の
            裏づけをしたいと思いました。

            取って来た閉鎖登記簿です。今回は釜山広域市中区東光洞2街1-から2街110番地までの枝番号の
            全部です。

            本町2丁目1番地から10番地を調べたいのですが・・・・・
            困ったことに戦後の住所改定で昔の本町2丁目3番地は東光洞2街3-1と東光洞2街3-2に分離されて、
            本町2丁目4番地は東光洞2街5番地に編入され消えています。
            そして登記所では戦後の地番でしか申請できないのでどのように地番が変化したか知らないと
            戦前の住所にたどり着く事が出来ないシステムです。分からない人は混乱します。

            表題部の拡大です。昭和2年9月1日の釜山府の住所改定で琴平町1番地が本町2丁目9番地になった
            ことが分かります。

            戦前の釜山府も明治、大正、昭和2年、10年と大幅な地番改定があるので特定作業が複雑になる
            のは仕方ありません。
            推理小説を読むように解読する楽しみを覚えると抜けられませんw

            登記簿の表題部だけでも面白いですが、甲欄の所有者の変化も興味深く、乙欄の抵当権登記を
            見て経済活動の推測もやめられませんw

            この場所(267坪)は釜山実業家で著名な坂田文吉さんが住んでいました。所有権を見ると
            大正5年に三井物産に売買され、昭和6年に釜山府に所有権が移転しています。
            戦後は1967年に金載鎬さんに売買され、1977年に李承珍ほか10名の共有になっています。
            | けい | 釜山 | 10:18 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
            菱海村(現在は長門市の一部)を訪ねた
            0
              山口県大津郡菱海村の地図です。

              菱海村は 久富村、新別名村、河原村、伊上村が合併するとき、4つのむらの頭文字を取って
              出来たようです。
              東から西に並んでいる順に、久富の「ひ」、新別名の「し」、河原の「か」、伊上の「い」


              写真は長門市・札場集会所です。この建物の場所に大津郡菱海村の村役場がありました。

              1954年5月 大津郡の菱海村、宇津賀村、向津具村の3村が合併して 大津郡油谷町になり、
              油谷町役場が別の場所に新設されました。
              2005年3月 大津郡油谷町は長門市に吸収合併され、消えました。

              旧菱海村役場前の交差点から撮ったメインストリートです。方向は東
              右の大きな家は旅館で当事は朝鮮の蔚山と菱海を結ぶ航路作成関係者が多数宿泊し賑わって
              いたようです。

              同じく交差点から西方向。
              左が蔚山の埋築工事、釜山の埋築工事をした池田佐忠が住んでいた家です。
              蔚山と菱海を結ぶと日韓の最短距離である事に着目し両都市を結ぶ大工業団地を作る
              予定でした。

              同じく交差点から南方向。廃屋が哀しげです。
              蔚山の埋築工事が終わり、工業用水路も完成し、菱海村の埋築工事を始める直前に敗戦
              蔚山は池田が作った土地で工業都市として100万都市に発展しました。
              30万都市になる予定だった菱海村の工業団地構想は敗戦のためすべて消えました。

              芭蕉の一句が浮んできます「夏草やつわものどもが夢の跡」
              | けい | 福岡県外 | 12:30 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
              引揚港だった仙崎を訪ねた
              0
                昨日の日曜日は山口県長門市の仙崎を訪ねました。

                仙崎は敗戦で海外から引揚げる日本人の受け入れと、帰国する朝鮮人を送り出す港として
                使用されたので、戦前の海外植民地研究に欠かせない場所です。

                港に記念碑と説明文があります。
                右は下関市立大学の木村健二先生、左は霊山大学の崔永鎬先生

                奥の方には在日朝鮮人を送り返した記念の銅像と石碑があります。

                仙崎駅です。仙崎線は山陰線から分岐した1駅の短い路線です。
                駅の中はミニ博物館となり、仙崎で生まれた詩人「金子みすず」と引揚港としての仙崎を
                紹介しています。

                展示されているアルバムの中に面白い写真がありました。

                仙崎には米軍では無くニュージーランド兵が駐留して引揚/帰国をチェックしていました。
                福岡県立図書館蔵書の援護局「局史」に引揚者の横に半ズボンをつけた兵の写真があったのを
                疑問に感じたのを思い出しました。知らない外地の写真だと思っていましたが仙崎の写真だと
                特定できたので嬉しくなりました。
                | けい | 福岡県外 | 13:39 | comments(3) | trackbacks(0) | - | - |
                釜山旅行から帰ってきました。
                0
                  今月も週末の慌しい短期釜山旅行から無事に帰ってきました。

                  5月12日の土曜日の1便(8:30)で出たのですが、当日 麗水の世界博覧会の開始日で
                  ビートルの最初の麗水航路の出発日なのでTVの取材がありました。

                  私にも話しかけられましたが釜山行きだと言うと すぐ離れていきましたw



                  麗水行きは8:15で、釜山行きは15分後なので マスコットキャラクターが桟橋で待っていました。

                  麗水の博覧会は万博の間に開催される小規模の海洋特別博覧会なの展示館は韓国が作って
                  各国が展示スペースを利用するシステムです。日本で開かれた沖縄海洋博覧会、愛知万博、
                  つくば博覧会と同じ方式です。
                  8月までの3月間の開催なので1度は見学したいと思っています。


                  | けい | - | 13:42 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
                  釜山府尹の最終は富山修
                  0
                    釜山府尹の宇野友八は昭和19年6月までは在任していたようですが11月の官報では
                    新しい府尹になっていました。名前は「富山修」
                    彼が最終の釜山府尹だろうと思われます。

                    釜山の霊山大学の崔永鎬氏から釜山府尹の「富山修」が1945年12月下旬に日本に
                    引揚げたと言う新聞記事を見つけたとうかがいました。
                    (民主衆報、1945年12月28日付、2面)
                    記事を確認すれば最終の釜山府尹は「富山修」で間違いないと思います。

                    通常の公務員は10月ごろには引揚をしているようですが12月まで釜山に留まったのは
                    何か理由があるかもしれません。日本人世話人会の中には名前を見ることができない
                    ので別の仕事をしていたのでしょう。理由を知りたいものです。
                    お分かりの方ご指導下さい。
                    | けい | 人物 | 09:20 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
                    日韓関係の流れ2010
                    0
                      土日の釜山短期旅行から帰ってきました。
                      今回は 霊山大学で国際政治の先生である崔永鎬氏と話す機会があり、彼の著作である
                      「日韓関係の流れ2010」を貰いました。

                      私の韓国語能力は低いので彼が日本語で話す事で情報交換ができました。韓国語能力の
                      向上を考えますがその時間で歴史資料を読んだ方が良いと考えてしまうので会話能力は
                      当分そのままかもしれません;

                      この本も目次やタイトルは何と分かりますが、本文までは無理です。辞書を引きながら
                      だと分かるかもしれませんが、時間がかかりそうなので、面白そうな箇所だけ読む事に
                      なりそうです。

                      在日の事に詳しく述べているので韓国人から見た在日人たちの捕らえ方が分かるようで
                      興味深いものです。
                      会話の中で最初に日本訪問して在日の人と会うのは怖かったと聞きました。
                      何故なら、韓国では在日は「アカ」=共産党と支持者と教えられたからのようです。
                      表面は普通に見えても中は赤いので警戒が必要だと講習を受けてから訪日したそうです。

                      韓国人は在日に強い警戒心を持っているのが通常のようです。

                      画像は終戦で韓国に帰国する人たちです。(博多港引揚(平成23年):77頁から引用)

                      釜山から日本に引揚した人たちは小さな手荷物以外は没収され無一文の帰国と対照的に
                      大きな荷物です。
                      ところが・・・・大きな荷物を自宅まで持ち帰ることが出来た人は少数だったようです。

                      釜山の港に着くと独立運動家と自称する武装集団が現れ、すべてを取られたようです。
                      建国準備委員会(建準)は有名ですが・・

                      朝鮮臨時軍事委員会、自治隊総司令部、光復軍国内支隊、学兵団、朝鮮国軍準備隊、
                      韓国革命軍、長銃団・・・などが主な私兵団体です

                      1945年11月13日 米軍は私兵団体を一括して非合法として禁止したようです。
                      | けい | | 17:48 | comments(2) | trackbacks(0) | - | - |
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